2023/05/01 17:52

前回は一年経って変化した石への思いについて書きました。
今回は根として広がる思いについてお話しします。
何故私は物を作るのか?
作って良いんだろうか?
世の中にこんなに沢山の物はあるのに。
作って売って何か役に立っているのだろうか?
そういう思いは時折、波の様に出てきます。
私は今、格別な素材に出会って物作りをしています。
大麻や石の力については歴史の長さも物語っています。
でも一方で特別な材料でなければならないのか。
物に魂が宿るなら、材料は何でも良いのではないか?
という考えも浮かびます。
魂を宿す物を作ったとして、その先に何をもたらしたいか。
私が作る時いつも願うのは、誰かの気分を少しでも良くする助けになります様にということです。
その願いは、音楽、カウンセリングやセッションで形の無いものでも届けることができます。
表現方法は違えど、互いの幸せを祈り行うことは形が合っても無くても同じだと気づきました。
何故作るのかの答えとして、皆さまにも作って欲しいから、という面もあります。
作ってみたい、と思って頂けるモノを作りたい。
モノを作ると自分を結構誇らしく思えます。
例え見本通りに作るのだとしても、途中は些細な判断の連続で、それを乗り越えて完成した事は誰よりも自分が知っています。
また作っている時間が楽しい思い出に包まれれば、その思いもモノに宿ると信じています。
モノを作るのだけど作りたいのは物質ではなくそれをとり巻く良い氣分です。
最初は30代の夢"物作りを仕事にする"を形にするのに必死でした。
この一年ちょっと、多くの方と出会いながら目標が芯の部分で決意に変わり、これがしたいことだと明確になりました。
このことを文章にして残しておきたかったのです。
独白のような文におつきあい頂きありがとうございました。
迷いが晴れて、清々しい気分です。